狭山丘陵の柿 江戸時代、 「山口の柿」の代名詞があったくらい、この地方は柿が地味に合っているようです。寛政7年(1795)、江戸青山から清水村に来村した旅人が、高尾山に登り、帰途、箱根ヶ崎から清水までの間、青梅街道・村山道どこにも昼食を供する家がなく、途中で柿売りに出会って、その柿で、ようよう飢えを凌いだ話が伝わります。
画像より、もっと小粒の柿だったようです。
野火止用水
[2012/10/23 08:06]
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「山口の柿」とは初耳です 野火止用水様
いやぁー、驚きました。
こんなエピソードが、スラスラと出てくるなんて!
こちらは、何回読んでも頭に残らないんです。
そういえば、ご近所も柿がいっぱい、このあたりでは、貰い手が居ないんです。やむなく、朝な夕なに、自分でいただいております。
[2012/10/23 09:39]
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